作者別: 天宮ようこ

朝顔の朝、終わりしは何時よりか

ヤッシャ・ハイフェッツのためにビゼーのオペラをヴァイオリン・ソロとオーケストラのための「カルメン幻想曲」に編曲。名作オペラの名旋律を散りばめたポプリに興味を感じさせてくれた出会いでした。しかし馴染まない力強いオリジナリティを感じます。ソロヴァイオリンを主人公に様々な苦難を乗り切っていくストレートな感情が伝わってくる。本文ページヘ «朝顔の朝、終わりしは何時よりか»

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『ヒマラヤを越えて』冒険の本も面白いけど、やはりファッション雑誌が楽しい。

クラシック映画『裏窓』。おなじみヒッチコックの登場シーンは…ピアノを弾いている作曲家の横で時計のネジを巻いている。ラストのドーナツ盤の歌がアパートのコミュニティを得た住人の心情にシンクロする。音楽映画ではないけれども音楽が生きている。グレース・ケリーのファッションも素敵だし。戦争の傷口を癒しながら冒険に誰もが乗り出した時代。ピアノと時計のネジを巻くという行為がシンボリックです。本文ページヘ «『ヒマラヤを越えて』冒険の本も面白いけど、やはりファッション雑誌が楽しい。»

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クラシック作曲家大全〜より深く楽しむために

中世からルネサンス、バロック、古典派、ロマン派の時代を経て1,900年以降の近現代音楽の発展まで、クラシック音楽の歴史を網羅しています。その時代の時代背景、出来事とともに流行音楽の成り立ちも解説しており、約 300 人の作曲家の生涯や作風、主要作品(400曲以上についての曲の種類、演奏時間)だけでなく、簡単な楽典、楽器紹介、演奏史、用語解説もある為、音楽の基礎知識を得ながら読み進むことができます。豊富な図版とともに詳しく言及している、クラシック音楽の作曲家ガイドブックの決定版です。本文ページヘ «クラシック作曲家大全〜より深く楽しむために»

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コキコキと回る故障し扇風機、時に鼻眼鏡 主は正す

コキコキと回る故障し扇風機、時に鼻眼鏡 主は正す
最終回、気になるなぁ。収録の最後のシーンはアキとゆいちゃんとひろしが震災にあった町を眺めるというシーンだったらしい。震災をどう描いているのかがすごく気になります。
映画「潮騒のメモリー」は2011年3月5日公開だったよね。震災のほぼ一週間前。どうなるんだろう。試写会あるんだったら応募したのになぁ。本文ページヘ «コキコキと回る故障し扇風機、時に鼻眼鏡 主は正す»

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真っ青なる空 引き寄せて 布団干す、くすぶる我も甲羅干したし

真っ青なる空 引き寄せて 布団干す、くすぶる我も甲羅干したし

子供の頃から『がんこ』なところはあったな、と思うところはあるんですよ。彼にはお姉さんがいて、お譲りのピアニカが女の子色だったからか気に入らなかったらしく学校に持って行こくことなく『忘れました』で通したというお話をされた。『がんこ』なところはその頃からだったようです。ということなのだけど、「それは頑固ではなくて偏屈でしょ』。

「俺、きれいだなこういう主人公」高橋英樹さんが風采の上がらない探偵ざむらいを演じた「さむらい探偵事件簿」を初めて観た。『三匹の侍』など記憶に鮮やかだけど、水戸黄門の助さん、角さん、黄門様の三役を演じた里見浩太朗さんと時に混同して記憶しているところがある。本文ページヘ «真っ青なる空 引き寄せて 布団干す、くすぶる我も甲羅干したし»

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ひょいと飛ぶつもりの段差に足止まり 老いは確かに近づいている

ひょいと飛ぶつもりの段差に足止まり 老いは確かに近づいている
グレン・グールドのハミングをノイズとして拭い去った《ゴールドベルク変奏曲》やドビュッシーのデジタル・ステレオ録音を聞いては思う。楽器演奏者の録音は、新しいテクノロジーで生まれ変わる。指揮者をデジタル・アーカイヴ出来る日が来るのか。デビュー以来次々に仕事を受けて走り続けてきた指揮者。二年間は十分、小澤征爾さんは養生しながら楽譜の勉強がやり直せただろう。本文ページヘ «ひょいと飛ぶつもりの段差に足止まり 老いは確かに近づいている»

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黒雲の遥かに寄する信州のバスに揺れつつそれのみを追う

黒雲の 遥かに寄せる 信州の バスに揺れつつ それのみを追う
ダムの水を補うために昭和に設置した人工降雨装置を始めて使用した、様子をニュースで見た。
しばらくして5分間ほど大粒の雨が降ったということだけど、それが人工降雨装置を使ったからかは調べようがないそうです。
然し、確かに雲レーダーで観ると周囲にあった雨雲がひとつに固まった様子は残っていた。それが、都心に流れてその夕方のゲリラ豪雨に合流してしまった。
日本のゆるキャラは海外の人には理解し難いものだそうだ。日本人が直ぐ馴染んでしまったのは、八百万の神。トイレにも神様がいる、台所にも神様がいる。それを受け入れられる日本人は誰もが何となく分かるものだろう。100年後には、日本の文化、地方の民族文化としてゆるキャラは研究材料になるだろう。本文ページヘ «黒雲の遥かに寄する信州のバスに揺れつつそれのみを追う»